あっという間に初夏の日差し。東アジア特有のじめじめと肌にまとわりつく、陰険な暑さが懐かしい。
今年は冷夏との予想での農作物への影響が心配されていたのですが、宮崎県の口蹄疫問題や突発性の豪雨など多発する異常気象やらで、たくさんの人々がご苦労されている。阪神淡路大震災を経験した者としては、御心労の深さを思わんばかりである。農作物、酪農生産者、商店等の商売人の皆様においては死活問題であることは想像に堪えない。早期終焉に向かうことを心から祈っております。
どんなビジネスにおいても想定外のマイナス要因に悩まされることがある。昨年の神戸の街は、インフルエンザの影響で戒厳令のような重苦しい日々が続いた。今年は無事神戸まつりも催され、たくさんの人達の笑顔に溢れた元気な神戸に涙。涙。当たり前の日常に感謝する毎日です。
さて、さて。2010年。
“2010年宇宙の旅”(※1)では精神が宿った人工頭脳HALが、大気圏外から地球を見守る事になったのだが、現実ではマルコム・マクラーレン(※2)が召され神になった。(いや、シドビシャスが待ってる地獄の囚人かな?)アリスが18歳になってワンダーランドに再びやってきて、THE MICETEETH(※3)がそれぞれの活動を始めて、まさかのサッカー日本代表の快進撃と悔しい涙、そして猫の目のように日本の総理大臣が変わったのだが、梅雨の始まりは契約した朝刊のように、きっちりとやってきた。
毎日が観覧車のように回っていく。気付かない位の小さな音を立てて、くるくると私という軸を中心に世界が変化していく。観覧車の籠に乗るもの、降りるもの。長らく其処に乗ってるもの。大小様々な物語が海の吐息のように満ち引きを繰り返す。打ち寄せる波で海岸線が変形するように、回る籠の重みで中心軸も変形しちゃったりするんだよね・・
例えば、昔の自分の写真を見て苦笑したり愕然としてしまうことって僕だけでしょうか?
相変わらず楽しいことや美しいもの、カッコイイもの、要するに“ピピッ”と自分アンテナの引っ掛かるものを信じている。アンテナが微妙に歪んできてることに気付かない場合もある。ところが、肉体と反比例するように大事なもの、選び取らなければいけないもの、リスペクトするものがよりはっきりしてきている。なぜだろう?死期が近づいてるのかしら?ただの自己陶酔、思いこみ?
村上春樹先生が書いてたから大丈夫。「この世界は自分が見ている夢かもしれない」って。
2010年。会社になって20年。
変えられないものと、変わらざるえないもの。変えてはいけないこと、変えなければいけないこと。
「ねじれのん」では、そんな境界線を綱渡りして、ゆらゆらしている僕の恥部を?ご覧になっていただいているという大変迷惑な悪趣味な手記でございますが、ポトマックのホームページ・リニュアルとともに、より我儘に独善的に暴君の如く、ゆらゆらさせるどころか、ぶらぶらさせていこうと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします!!