ほんの十数年前まで、ジャズは「オヤジ」達のものだった。ホテルのラウンジでは、綺麗に着飾った女と紳士然としたオヤジ達がジャズ・ピアノトリオを楽しんでいる、そんな光景がよく見られた。そこでオヤジ達は、女のためにカクテルを選んだり、あるいは指を鳴らし小刻みにスイングしながらスタンダード・ナンバーをリクエストしていた。言ってみればジャズは、そんなオヤジ達が女をくどくアクセサリーとして消耗されていた。
   でも僕の中では、そうではなかった。何かが違っていた。僕がジャズに感じたもの、それは、その奥底にただならない脆さを感じさせるモードでクールな、もっとセクシーで不真面目なものだった。
そういえば似たような感覚を覚えたことがある。ジャン=ジャック・ベネックスが愛の狂気を赤裸々に描いた「ベティ・ブルー」(※1)を見た時だ。主人公の女は狂おしいばかりの情熱そして純粋さ故に、自らの目をえぐりとってしまう。やがて物語は悲劇的な結末を迎える。ヒロインは、女である以上に「感情」そのものだったのかもしれない。繰り返されるフレーズが感情の起伏を増幅させた。
   あるいは大竹伸朗(※2)の作品を見ていても同じ感覚に襲われる。彼が日常の場面をスクラップしながら、既成概念を「破壊」し、「反復」させるという行為、その創作は「生の躍動」というより、むしろ「芳しき死臭」とでも呼ぶべき匂いを放っている。それはあたかも、鋭利なかみそりの上でダンスするような、心から噴出す怒りと悲しみの血しぶき、脳髄まで融けてしまうような性液の匂いと生々しさを彷彿させた。
   スパイク・リーの映画「モ’・ベター・ブルース」(※3)の中で、マイルス・デイヴィスの"So What"(※4)が流れていた。濃厚な甘さで描かれたベッドシーンだった。そのシークエンスを見て、僕は確信した。ようやくジャズが僕らのものになりはじめた。

   平成3年。店では毎日のように"Kind of Blue"が流れていた。もし無人島に流されたなら、必ず持って行きたいアルバムだ。理論的な素晴らしさはよくわからないが、限られた音をセンスよく選んでいる無重力感のあるクールなアルバムだ。しかし僕は、その音楽の根底のどこかに、焦燥感、いらだち、孤独感といった独特の「匂い」を感じていた。マイルスが、僕の心と共鳴した瞬間だった。
   僕も含め、集まった店のスタッフはどこかに影を持つドロップアウト組ばかりだ。同じ匂いを放つ人間は、自然とわかり合えるというが、僕らも傷口を舐めあうことなく、onとoffの垣根も越えて、果てしなく緩やか時間を共有した。
   学校教育とは無縁の輩ばかりだったが、"カッコイイ"ものに常に飢え、その感性を常に研ぎ澄まさし、誰が真っ先に"発見・解読"できたかをいつも競い合った。熱く議論するだけなら、まだしも、皆で"曲解"を始める。これは厄介だ。仲間内での自慢か威嚇か、「わかってしまった」と、一日に5回以上叫んでいた。まるで早押しクイズのようだ。

ジョン・コルトレーンの鬼気と続くソプラノサックスを…。
イレイザーヘッドのざらついた映像、インダストリアルサウンドを…。
スティーブ・ライヒとクロノスカルテットが反復する音階の壁を…。
サルヴァドール・ダリの空間分割とそのトリックスターぶりを…
皆、「わかった」つもりでいた。

   今思うと青臭く恥ずかしい話だが、そんなたくさんの曲解のコラージュが、僕たちの防御服でもあった。新宿のネオンの渦の中を猛スピードで走り抜ける眼球の乾きと、ひび割れた脳器を潤すように、酒と煙草と仕事を媒体として手当たり次第に神々の言霊を食らっていた。未だアウトプットの方法も知らず、リバウンドや禁断症状等の知識もなかったのだが、食あたりしないための、ひとつの処方箋、おまじないとして「わかってしまった!」と唱えていたのかも知れない。
ただ、今でも正しいと思うのは、説明不可能な暴力的と呼んでもいいような「潔い衝動」を伴ったものに心を掻き毟られことは、飲食店にも絶対必要だということだ。本人にさえコントロールできない「思い」のまえには、神も悪魔も平伏すのだろう。

   平成3年、僕は店を有限会社にした。会社名は"So What"。
「そこにあるものは演奏するな。そこにないものをやれ」
「オレは、いつも"な・ぜ・だ"という言葉が真っ先に出てくる」
「失敗を恐れるな。そんなもんありゃしない」
どれも、僕の好きなマイルスの言葉だが、"SO WHAT"は、そんな覚めた目をした帝王、マイルスの口癖だったという。「それがどうした?」「だから、なんなの?」。自分たちが信じた「思い」の前では、すべてが"SO WHAT"だった。

   それから、ほどなくして2店舗目となる「ハード・バップ・バー・ゴア!」が誕生した。